SMにおける信頼関係
なかなか更新できないですいません。
応援、励ましのメール頂いておりますので、久々に書こうと思います。
SMにおいて、相手への信頼感というのは、ある意味、絶対的に必要なものです。
彼氏や夫にすら言えないような性への渇望を持つM女性なら、なおさらあいてのSさんに、信頼を持っていないと出会うことすらしないでしょう。
一方で、出会わなければ、決して前には進みません。
SMの本やサイトを見て妄想を膨らまし、オナニーに耽る日々があるだけです。
私の経験上では、その覚悟が決まるのは、その人それぞれですが、20~30代で訪れる場合と、40代前半で訪れる場合があるようです。
前者の場合、そこを逃しても40代でまた覚悟ができるかと言うとそうでもなく、そのまま経験せずに居る場合も多いようです。
いずれにしろ、実際に会う人は、その時点で私のことを信頼してくれているので、気が楽です。
なぜなら、そういう人は、初心者でも自分のM側の性を解放してくれるからです。
初心者でMの女性は、大体2/3くらいが、膣内でエクスタシーに達したことがありません。
なぜなら、本当の性がMにあるのに、ノーマルなSEXしかしてこなかったからです。
また、エクスタシーに恐怖を持っている人も居て、そういう人を躾けていくには、まず信頼関係が必須なのです。
声を思い切り出して、場合によっては涎や尿を溢しながら、意識を彼方へ飛ばすような状態は、信頼出来る相手でなければ、見せられないのですから。
調教したり躾けたりする私としても、そこまで信頼してくれる相手には全力で応えたいと思いますし、心の中では礼を持って接しているつもりです。
そういった意味では、私のSM感は、ちょっと普通のSさんとは違うのかもしれないですね。
過去の調教から1枚、写真を上げようと思います。
年齢も、背景も、あえて何も語りません。
ただ、本当に私を信頼してくれたM女性の姿です。
自分のMとしての性欲のリミッターを外し、全力で絶頂に駆け上がる淫らな律動。Mとしての本能で、それこそが私の最も悦ぶ奉仕行為であることも、わかっているのでしょう。
出会って数時間のことです。
この日は、午後に会ってお話する程度のつもりでしたが、結局このように調教することになり、さらに哀願されて一晩かけての調教になりました。
応援、励ましのメール頂いておりますので、久々に書こうと思います。
SMにおいて、相手への信頼感というのは、ある意味、絶対的に必要なものです。
彼氏や夫にすら言えないような性への渇望を持つM女性なら、なおさらあいてのSさんに、信頼を持っていないと出会うことすらしないでしょう。
一方で、出会わなければ、決して前には進みません。
SMの本やサイトを見て妄想を膨らまし、オナニーに耽る日々があるだけです。
私の経験上では、その覚悟が決まるのは、その人それぞれですが、20~30代で訪れる場合と、40代前半で訪れる場合があるようです。
前者の場合、そこを逃しても40代でまた覚悟ができるかと言うとそうでもなく、そのまま経験せずに居る場合も多いようです。
いずれにしろ、実際に会う人は、その時点で私のことを信頼してくれているので、気が楽です。
なぜなら、そういう人は、初心者でも自分のM側の性を解放してくれるからです。
初心者でMの女性は、大体2/3くらいが、膣内でエクスタシーに達したことがありません。
なぜなら、本当の性がMにあるのに、ノーマルなSEXしかしてこなかったからです。
また、エクスタシーに恐怖を持っている人も居て、そういう人を躾けていくには、まず信頼関係が必須なのです。
声を思い切り出して、場合によっては涎や尿を溢しながら、意識を彼方へ飛ばすような状態は、信頼出来る相手でなければ、見せられないのですから。
調教したり躾けたりする私としても、そこまで信頼してくれる相手には全力で応えたいと思いますし、心の中では礼を持って接しているつもりです。
そういった意味では、私のSM感は、ちょっと普通のSさんとは違うのかもしれないですね。
過去の調教から1枚、写真を上げようと思います。
年齢も、背景も、あえて何も語りません。
ただ、本当に私を信頼してくれたM女性の姿です。
自分のMとしての性欲のリミッターを外し、全力で絶頂に駆け上がる淫らな律動。Mとしての本能で、それこそが私の最も悦ぶ奉仕行為であることも、わかっているのでしょう。
出会って数時間のことです。
この日は、午後に会ってお話する程度のつもりでしたが、結局このように調教することになり、さらに哀願されて一晩かけての調教になりました。